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高橋 是清(たかはし これきよ、1854年9月19日〈嘉永7年閏7月27日〉 - 1936年〈昭和11年〉2月26日)は、日本の幕末の武士(仙台藩士)、明治、大正、昭和時代初期の官僚、政治家。立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣(在任 : 1921年〈大正10年〉11月13日 - 1922年〈大正11年〉6月12日)。栄典は大勲位子爵。幼名は和喜次(わきじ)。内閣総理大臣としてよりも大蔵大臣としての評価の方が高い。


そのふくよかな容貌から「ダルマ蔵相」、「ダルマさん」と呼ばれて親しまれた[3]。国会での三木武吉によるヤジは特に有名。
在任中は主に積極財政政策をとり、井上準之助が行った緊縮財政としばしば対比される。また、公債発行による財政政策、乗数効果をプリミティブな形とはいえケインズに先だって説き、実践した。
現在一般化している一般歳入の補填を目的とした国債発行を日本で初めて実行したことでも知られており、それを含め現在の日本の金融政策にも大きな影響を及ぼしている。
高橋が岡田内閣に入閣した際に、既に同内閣に対して野党宣言をしていた立憲政友会総裁の鈴木喜三郎は同内閣に入閣した政友会党員4名全員を除名しようとした。だが、元総裁の高橋を除名した際の党内に与える動揺を恐れて、高橋を「離別」すると宣言(あとの3名は除名処分)してお茶を濁した。

日本銀行券B50円券
歴代日銀総裁のなかで唯一その肖像が日本銀行券に使用された人物。1951年(昭和26年)から1958年(昭和33年)にかけて発行された五十円券がそれである。
高橋是清は、赤坂御所に対面する青山通り沿いに、敷地約2,000坪の広大な屋敷を構えていた[7]。邸宅跡は現在、高橋是清翁記念公園として整備されており、建物の一部は江戸東京たてもの園(東京都小金井市)に移築されて公開されている[3][8]。
酒好きで有名。国会本会議場の席でも堂々と茶碗酒をすすっていたが、誰も咎める者はなかった。
1951年から1958年にかけて発行された50円札の肖像に使われた。