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ギャル曽根(ギャルそね、1985年12月4日 - )は、日本のタレント、フードファイター、歌手、グルメコメンテーター。本名:名城菜津子(旧姓:曽根)[1]。京都府舞鶴市出身。また、ギャルルのリーダー(2代目)でもある。

ギャルソネと表記されることもある。ワタナベエンターテインメント所属。キャッチコピーは「大食いクイーン」。


舞鶴市立明倫小学校、舞鶴市立城南中学校、京都府立西舞鶴高等学校卒業。調理師免許所持。
身長162cm、体重45kg。
兵庫県姫路市の魚町にあるキャバクラ「club EARTH」でホステスの仕事をしていたが、2005年から大食いのテレビ番組に出演するようになり、2006年の『元祖!大食い王決定戦 新爆食女王誕生戦』、2007年の『元祖!大食い王決定戦 新爆食女王限界死闘編』(テレビ東京)などで優勝。
それをきっかけに上京し本格的に活動を始める。『ラジかるッ』、『大笑点』(日本テレビ)では、同じく大食いのジャイアント白田(白田信幸)と大食い対決している。
当初は素人としての番組出演だったが、2006年に大手芸能事務所のワタナベエンターテインメントと契約してタレント活動を始めた。2007年4月に、辻希美(妊娠脱退により安倍麻美が参加)、時東ぁみと共に藤田志穂のプロデュースによるパラパラギャルユニット「ギャルル」結成を発表。曽根は「そねね」として登場した。初代リーダー辻の脱退により、2代目リーダーとなる。
2007年度『日本新語・流行語大賞』にて「大食い」がトップテンに入賞し、その受賞者となる[2]。
2011年7月24日、『もしもツアーズ』などを手がける9歳年上のディレクター、名城ラリータと結婚[3][4]。同年8月6日放送の『もしもツアーズ』にギャル曽根がゲスト出演し共演を果たした。2012年11月5日に男児を出産した。


家族は母と姉と弟。大食いは家族や母から受け継がれたものであり、母の料理は普段から量が多く家族も皆沢山食べていたこともあって、幼い頃から大食いであった[5][6]。父は地元企業の社長で豪邸に住む等裕福な生活だったが、小学校3年の時に事業の失敗で借金を作った事が原因で家を出た、豪邸を手放す等裕福から一転し質素な生活を余儀なくされた[6]。しかし、母はそれでもめげずに大食い料理を作っており[6]、高校生時代3年間付き合っていた彼氏を度々自宅に招き、家族と食事を共にした際、母は「男の子は沢山食べるでしょう!」と、ハンバーグ合計7枚などの大量の食事でもてなした事もあった[5]。
京都出身であるが、関西弁は話さない。素人時代は話していたが、プロタレント転向に伴って事務所の方針で話さないようになった[7]。
数時間以上の遅刻癖が激しい。
実家は養蚕業であった。実父は女性と一緒に家を後にしたという。(開運!なんでも鑑定団出演時の発言)
中学校時代、姉と共に陸上部に所属し、複数の市民マラソン(特に米俵や食品が賞品の大会)に出場しては姉妹揃って1位・2位を取っていた。そのため地元の市民マラソン常連者の間では、市民マラソン荒らしの異名を取っていた[6]。このほかにも小学生時代には弟と一緒に柔道を、中学生時代には水泳も習ったことがあるという。
憧れの芸能人は浜崎あゆみで、中村有志が命名した芸名の通り、ギャル系メイクが特徴。大食い対決の途中でメイクを直したことがある。
他の大食い選手が必死の形相で手当たり次第に食物を口に詰め込むことが多いのに対し、好きなものばかりをよく噛みながらマイペースで美味しそうに口に運ぶ、大食いとしては異色な(食事としては健全な)行動が目を引き、人気を博す(なお、大食い対決・大会以外の食事も同様のスタイルである)。
同じ女性フードファイターでは三宅智子と仲が良く、後年出演した大食い番組でも「最近では唯一の仲良し」と発言している[8]。
マヨネーズを常に携帯しているという「マヨラー」でもあることからギャルマヨとも呼ばれている。3日で1本消費するといい、いつも箱買いしている[9]。
大食いタレントとしては珍しく食べ物の好き嫌いが多いのが特徴。好物は、大トロ・特上カルビ・ウニ・卵料理・ピンクレモネード・爽健美茶・アクエリアスなど。不得手は、蕎麦・数の子・レバー ・豆腐[10]・こんにゃく・メロン・ココナッツ・ポップコーン・辛口料理[11]など。なお、エビフライのように大食い競技を経て不得手から好物になった食材もある[12]。
女子中高生にアンケートをとっている@peps!ランキンでは一度すっぴんを見てみたいと思う女性芸能人No.1(ピーネスト調べ)にランキングされている[13]。
姫路在住時代・東京生活関係
姫路市にある日本調理製菓専門学校の調理科を卒業し調理師免許を取得。
姫路市にあるギャルファクトというスナックで働いていたことからこの名前がついた。
2007年夏までは兵庫県姫路市に住んでいたが、 東京が主な仕事場であり、仕事が忙しいため姫路にはあまり帰らず、実家や東京に住む友人宅(着替えの衣類も置いてもらっていた)やインターネットカフェにいたりそこで寝泊りすることが多かった。そこで同年夏に東京に引っ越してきた[14]。
姫路在住時代は、普段の食費を節約しつつも大食いしたいため、もやしを大量に買い込んで消費していた[14][15]。
東京に引っ越し後、普段は財布を持ち歩く事はなく、チャレンジメニュー実施店で夕食を摂って賞金を稼いでいたり、また別の店の食事永久無料のカードを持っており利用している[6]。また、以前より質の良いものを食べるようになった[14]。

2007年7月17日放送のラジかるッにて内臓(胃)のレントゲン写真が本人不在ながら公開されていた。通常時は一般人とさほど変わらない胃の大きさであるが(同年7月22日行列のできる法律相談所でも同様の本人談有)、大食い時はほぼ全面胃しか写っていない状態に見えるほどかなり大きく膨れ上がっていた(なお、他の内臓は背中方面に押し寄せられてしまうと西川史子が説明していた)。その時の外見は同番組の大食い対決コーナーで何度か映っている様にまるで妊婦の様になっている。2007年9月29日放送オールスター感謝祭では、「30分間食べたら、どれだけウエストが大きくなるか」と言う旨の企画があり、その際食前のウエストが約63cm(服を着た上から計測)だったのに対し、食後に計測した際には83cmと20cmも増えていた。
2007年8月28日、右臀部骨折が発覚。軽症のため自然治癒にまかせた。2008年9月9日放送の「最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学」(ABC)でもこのことを伝えた[16]。
大食い対決・大会関係
勝ち負けよりも「自分の食べたいように食べる」ことにこだわる。

2005年10月23日放送の『元祖!大食い王決定戦』における食パン大食い対決では、ジャムを大量に使い、食パン7斤=2.33kgを食べるのにジャム1kg以上を用いた(バター、ジャムなどは好きに付けて良いルールとなっていたが、その重量はカウントしないルールである)。この勝負では最後の一枠で勝ち残ったが、負けとなる最下位との差はわずか6gであった。
同番組での蕎麦対決では、競技の終盤で蕎麦に飽きてしまい、おかずの天ぷらのみを食べ、勝負に負けてしまった(食パンと同様、蕎麦のざるの枚数のみがカウントされ、天ぷらは競技の対象外だった)。
ただ、この姿勢は少しずつ変化しているようで徐々に勝敗への拘りを見せるようになり、2008年3月30日放送の『大食い爆食女王決定戦』では苦手のココナッツの風味が強いエビフライを思うように食べられず、また準決勝のステーキ対決でグラム単位の差で敗北し、それぞれ涙を流した。
時に、「胃袋は優れていても、顎の力は普通の女性と同じ」と称される事があり、硬い食べ物や揚げ物やステーキといった、噛み切る力や噛むスピードなど、顎の力がより問われる戦いでは、劣勢を強いられることも多い。
2008年2月21日放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした』のコーナー番組『食わず嫌い王決定戦』に登場し(対戦相手は徳永英明)、勝敗を決める実食の時に徳永からサザエのつぼやきを指名されたが、結局食べ切れずに負けた(一方の徳永が苦手なものは地鶏の水炊きだった)。
2008年8月3日に日本テレビ系列で放送された「世界の果てまでイッテQ!」の企画で、ヨネスケとニュージーランドへ行って、日本のものよりもさらに大きなウナギを食べる事に挑戦した。現地で「珍獣ハンター」のイモトアヤコと合流し、現地の漁師の協力を得てイモトが獲った(というよりは、現地の漁師が御膳立てした様な物だった)体長1m20cm前後の3匹の大ウナギ(番組内では「だんご三兄弟」になぞらえて「ウナギ三兄弟」と呼んでいた)を地元の日本料理店に持ち込み、白焼きや天ぷら、蒲焼き、うな重などに調理された3匹を全て食べ尽くした。この光景には同行したヨネスケや漁師、そして調理を担当した板前も驚いていた(イモトは漁が終了した時点で撤収したため、その場にはいなかった)。

彼女の出身地は京都府舞鶴市であるが、彼女を幼少の頃から知る人たちが彼女を大食いクィーン「ギャル曽根」と知る過程には時間差が生じていた。彼女が一躍有名になったのは2006年の『元祖!大食い王決定戦 新爆食女王誕生戦』であるが、関西でこの番組を放送しているのはテレビ東京系列のテレビ大阪であり、京都府も受信可能地域に含まれるものの、大阪から直線距離にして約100km離れている舞鶴市は一部の場所のみが受信可能地域となっていたためである(テレビ東京系列の番組を舞鶴市で視聴することは、一部ならBSジャパンで可能となる)。

このような放送環境のため、暫くの間地元では彼女の活躍を目にする機会が少なく、大食いクイーン「ギャル曽根」としての認知度は低かった。その後、彼女が他局の番組にたびたび出演するようになり、テレビで目にする機会が増えたことから、地元の人間にも大食いクイーン「ギャル曽根」=曽根菜津子という一致事項が出来上がるようになった。