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大場 久美子(おおば くみこ、1960年1月6日 - )は、日本の女優、歌手、心理カウンセラー。埼玉県川口市[1]出身。三人兄妹の長女(兄一人、弟一人)。オフィスキコ所属[2]。

人物編集

公称サイズ:身長153cm・バスト80cm・ウエスト58cm・ヒップ83cm・靴サイズ23cm。
学歴:鳩ヶ谷市立中居小学校、鳩ヶ谷市立八幡木中学校[3]を卒業し、その後東京成徳短期大学附属高等学校商業科入学(芸能界本格的デビューの為、転校) → 堀越高等学校卒業。
アイドル時代から、自身のことを『クーミン』と呼んでおり、愛称となっている。
趣味・特技:料理、日本舞踊、ダンス、洋裁(30年以上も続けている)、バトントワリング[4]など、結構多い。
好きな色:ピンク
アイドル時代から矢沢永吉の追っかけをやっていて、大人になって矢沢永吉の自宅の近所に家を建てたが、すぐに矢沢永吉が引っ越したという[5]。 
1999年から、母の死が引き金となり約8年間、パニック障害を煩っていたことを、2008年1月18日に放送された『独占!金曜日の告白』(フジテレビ)にて初めて公に告白した。その後、重い病気や障害で煩っている人達が新たに彼女のファンになったり、又、他のテレビ番組のインタビューでそれが放送されると、放送後、彼女の公式ブログ「大場久美子のエトセトラ」(下記の外部リンクの項を参照のこと)では、重い病気や障害を煩っている人達の書き込みが非常に多くなるという現象が起きている。
前記のパニック障害を克服したことを契機に、認知行動療法を学び、2009年10月、日本推進カウンセラー協会の心理カウンセラーの資格を取得。翌年半ば過ぎ頃から、心理カウンセラーとしての活動も本格的に開始する。
1995年頃から、カンボジアの教育支援や医療支援などを中心に行っているNGO団体・「公益社団法人セカンドハンド」の活動に協力し、2008年より同団体の広報大使を務めている。
2003年から2007年頃まで、旧鳩ヶ谷市の親善大使を務めていた(旧鳩ヶ谷市役所・広報課)。
2009年に開催された第2回「おもいがわ映画祭」にゲスト出演[6]したことを機に、栃木県小山市より「小山評定ふるさと大使」を委嘱されている[7]。
2011年に発生した東日本大震災を機に、震災で被災したペットの救助・保護を中心に行っているNPO団体・「一般社団法人UKC JAPAN」の活動に協力している。
略歴編集

1960年1月6日 埼玉県川口市に生まれる。
1970年 友人の応募で東京宝映テレビのオーディションに合格。同社が主宰する劇団・「劇団フジ」に入り、児童タレントとして活動。
1974年 日本テレビ系列のテレビ番組「愛の山河」に出演。テレビデビューを果たす。
1975年 NETテレビ(現・テレビ朝日)「あなたをスターに!」で特別賞を受賞したのをきっかけに、芸能プロダクション「ボンド企画」にスカウトされ、芸能活動を開始。(この時は、堀越高校在学中だった。)
1977年6月5日 東芝EMI(現:ユニバーサルミュージック)より『あこがれ』で歌手デビュー。「一億人の妹」というキャッチフレーズの下[8]、その後立て続けにシングル曲を生み出した。
1978年 同年6月12日から翌年9月24日まで約1年3ヶ月間放送されたTBS系のテレビ番組「コメットさん」(第2期、全68話)のヒロインを務め、全国的にその名が知れ渡り、ブロマイドが爆発的に売れ、一躍トップアイドルになる。
1979年3月5日 7枚目のシングル「スプリング・サンバ」発売(オリコン最高位44位、シングル売上3万枚)。これが最大のヒット曲となり、彼女の代表曲となる。
1979年10月19日 「さよならコンサート」を日本武道館で開催[9]。「私は女優の世界にお嫁に行きます」との言葉を残し、歌手としての活動を一旦終了した。記者会見の際になぜ歌手業をやめるのかとたずねられた際に「私は音痴だから。」と自ら発言し物議を醸した。ただし、後のインタビューでは「歌手活動は最初から数年(2年程度)で止めるつもりだった」とも述べている。
1984年7月25日 10枚目のシングル「悲しみ貯金箱」発売。明確な表明をしないまま、なし崩し的に歌手活動を再開した。
1984年 同年発売の写真集『大場久美子』でヌードを披露した。
1987年 実家がもらい火で全焼する。
1990年 サイドビジネスで京都府でレストランの経営を始めるが、経営不振で2年後に閉店する。
1992年 当時の所属事務所ボンド企画が倒産。これを受けて、翌年、個人事務所「オフィス大場」を設立。彼女の母親である大場タカ子が事務所のマネージャー等を務めて、母親と二人三脚で活躍する[10]。
1994年4月12日 サイドビジネスで経営していたレストランの負債の残金1億400万円を返せないことから、同日、自己破産申告が認められた[11]。
1999年6月18日 母のタカ子死去。 
2000年2月1日 6歳年下のダンサー兼振付師の高橋てつやと結婚[12]。
2000年 林寛子、あべ静江、沢田亜矢子と共に自称“熟女ユニット”『女盛りゲザデレタ』を結成。同年6月21日、シングルCD「Animal Blood」をリリースした。
2005年12月25日 高橋てつやと離婚。理由は多忙によるすれ違い生活や、当時彼女が患っていた「パニック障害」の影響等である[13]。
2008年1月18日 この日に放送されたフジテレビ「独占!金曜日の告白」にて、8年間パニック障害に悩まされていたことを、初めて公に告白。放送後、大反響を呼んだ。
2008年2月23日 「KUMIKO OHBA 35th Anniversary Live」を東京で開催。ライブ中、単独コンサートとしては30年ぶりに「コメットさん」の衣装を披露する。
2009年10月 認知行動療法を学び、日本推進カウンセラー協会の心理カウンセラーの資格を取得する[14]。
2011年5月19日 10歳年下の会社員の男性と再婚したことをブログにて公表。
2012年4月4日 活動に協力している「一般社団法人UKC JAPAN」のために、28年ぶりに11枚目のシングル「ボクの命〜20キロ圏内のペット達の想い〜」を配信限定で発売。
2014年7月8日 林寛子とコンビを組み、アマ名義で「キングオブコント2014」(第7回大会)に参加を表明。『○1○2』(マルイチマルニ)というコンビ名で出場したが、2回戦で敗退となる。