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石原 慎太郎(いしはら しんたろう、旧字体:石原 愼太郎、1932年 (昭和7年) 9月30日 - )は、日本の政治家、作家。衆議院議員(9期)、次世代の党最高顧問。
参議院議員(1期)、環境庁長官(第8代)、運輸大臣(第59代)、東京都知事(第14代・第15代・第16代・第17代)を歴任した。左利き。俳優の石原裕次郎は実弟。衆議院議員の石原伸晃は長男、石原宏高は三男。俳優・タレントの石原良純は二男。
兵庫県神戸市生まれ。湘南高等学校、一橋大学法学部卒業。
一橋大学では社会心理学の南博ゼミに所属。大学在学中の1956年(昭和31年) に文壇デビュー作である『太陽の季節』が第34回芥川賞を受賞、「太陽族」が生まれる契機となる。また、同作品の映画化では弟・裕次郎をデビューさせた。作家としては他に芸術選奨文部大臣賞、平林たい子文学賞などを受賞。『「NO」と言える日本 -新日米関係の方策-』(盛田昭夫との共著)、裕次郎を題材にした『弟』はミリオンセラーとなった。
ベトナム戦争を取材した経験から政治家を志し、1968年(昭和43年)に参議院議員選挙に全国区から出馬し初当選。1972年(昭和47年) には衆議院に鞍替え出馬し当選、以後当選8回。1975年(昭和50年) 、現職の美濃部亮吉に挑戦する形で東京都知事選挙に自民党推薦で出馬するも落選。その後衆議院議員に復帰し、1976年(昭和51年) に福田赳夫内閣で環境庁長官を、1987年(昭和62年) に竹下内閣で運輸大臣を歴任、1989年(平成元年) には自民党総裁選に立候補し、海部俊樹に敗れる。1995年(平成7年)、議員勤続25年を祝う永年勤続表彰の場で、突如議員辞職を表明した。
1999年東京都知事選挙に出馬。立候補の表明は有力候補中最も遅かったが、舛添要一・鳩山邦夫・明石康・柿澤弘治といった有力候補を抑え初当選する。2003年東京都知事選挙では都知事選史上最高の得票率で再選、2007年東京都知事選挙では浅野史郎らを破り3選。2011年東京都知事選挙では当初不出馬が取り沙汰されたものの、東国原英夫らを破り4選。2012年(平成24年)、後継に猪瀬直樹副知事を指名し、次期衆議院選挙に出馬するため東京都知事を辞職。同年の第46回衆議院議員総選挙に比例東京ブロックで当選し17年ぶりに国政に復帰。
個人として300万票以上の得票数を選挙で2度獲得したのは石原のみである(1968年参院選全国区と2003年都知事選)。
公私問わず、毎年8月15日に靖国神社に参拝している。新しい歴史教科書をつくる会に賛同。日本会議代表委員、戸塚ヨットスクールを支援する会会長を務める。江藤淳の後を引き継ぎ、産経新聞にエッセイ『日本よ』を連載している。また2012年10月から6ヶ月掛けて、全集『石原愼太郎の思想と行為』(全8巻 内容は自分の著作をまとめたもの)を産経新聞出版から刊行。
趣味はサッカー、ヨット、テニス、スキューバダイビング、射撃。俳優の石原裕次郎は弟。家族は妻(石原典子)と4男。衆議院議員の石原伸晃は長男、俳優・タレントの石原良純は次男、衆議院議員の石原宏高は三男、画家の石原延啓は四男。